…ショックだった。数日経った今もまだ思い返してしまう。
別に責められた訳でもない。母も普段はそういう話をしない人だが、法事で実家に帰り私の従兄弟たちが結婚したり子供がいたりするのを目にしたから、そんな気分になったんだろう。
ただ私は、私の欠陥を、自分で責めてしまう。
私は排卵障害があり、自然妊娠はしない。多嚢胞性卵巣症候群で病院に通っていて、そこまでは母も知っている。
そしてここからは私の内面の話だが、私は【育つのを失敗した】と思っている。そんな私が、命の第一責任者になんかなれないという意識がある。
そして、子供が欲しいと思ったことは一度もない。母になる自分を夢見たこともない。
そのうえで、私はアセクシャルである。日本だとノンセクシャルという呼称のほうが一般的らしいが、どの性別に対しても他者へ性的な欲求がない。
だから、子供を産む予定はない。
なんだけど、やっぱり子供のいる親って、孫を抱きたいって思う人が多いんだね。それをさせられない、ということに対して引け目がある。
多分これって、そうである自分を認めて味方になってくれる人が私しかいなくて、そしてその私はちゃんと生きて生活できているとは言えない、グラグラした生き方をしてると思っているから、なんだかこう、全部が安定せずにいるんだと思う。
要するに、私は私のことを【味方としては頼りないなあ】と思ってる。
例えば同じようにアセクシャルであるとか、それを受け入れて暮らしているパートナーがいれば、その人が味方になってくれるのかな。でも、いない。
アセクシャルを自認したとき、過去と照らし合わせてしっくりきて、納得したが、孤独感も感じた。
これから先、私は恋愛ができるのだろうかと不安になった。
今の私は健康が第一生活が第二、第三でお金の心配をしていて、孤独だと言うなら参加すればいいアセクシャルのイベントに行く体力も時間もお金もない。が、孤独は心を蝕んで、健康が脅かされる。うわーん。
でも、ちゃんと集まれる場に行かなきゃ出会いなんてないよ。友達作るにしてもさ。恋人作るにしてもさ。
9時間睡眠がすべての最優先だし、一人暮らしできるほど働けてない現状だけど家を出たいからお金も貯めたいし収入増やすことも考えないと。HSPで半日も出かければ次の日寝込むこと考えると…全てを天秤にかけたとき、出かけるという選択肢は消えてしまう。
でもやっぱり、しんどいな。こういうとき。ひとりで考えてもなんにもならないんだけど。
私がアセクシャルであること自体に善も悪もなく、【私はパクチーが食べられません】程度の、【実は八角が好きだって気がついた】みたいな、本当になんでもない私の一部なはずなのに、そうやって肯定しきれない。自分に石を投げてるのは自分だ。
家族との心の距離だったり、物理的な逃げ場のなさだったりに悩むとき、家を出るときのためのことを考える。
今回は、家を出ても続けたいサブスクとか、必要な買い物とか、物件の条件とか、色々並べて具体的に月いくら稼げれば現実的に暮らすことができるのか、現在はいくら足りないのか計算し始めたりした。
考えてもどうしようもないことよりは、心が落ち着く。本当は家でできる仕事と今の仕事をやって暮らせるといいんだけど。